虹を蹴る 虹を蹴る

第二回「生意気すぎる、高校生」

2019.08.16 Fri

 瑞希が大皿料理をテーブルに並べていると、続々と寮生たちが夕食の準備に集まってきた。それも、一年生ばかり。緩い部ではあるが、そこは体育会系だ。上下関係は厳然として存在するらしい。先輩方のためにテーブルを拭いたり配膳をするのは、一年生の仕事みたいだ。その一年生たちが、瑞希に声をかけてきた。
「お疲れーっす。ねえねえ、瑞希さん!」
「瑞希さんって、いつまで央学(ウチ)で寮母やってくれんですか?」
「えっ?」
 思わず、瑞希は目を瞬いた。彼らは、龍之介や逸哉とは違って、数を頼りに瑞希と距離を詰めてくる感じだった。でも、思いがけずフレンドリーではある。顧問の姿が見えないのもあるのかもしれない。身を乗り出すような質問に、瑞希はちょっと首を傾げた。ここはとりあえずやっぱり、大人の対応?
「ええと……、お母さんが良くなるまでかな」
「そうなんだー、ガッカリだな。長く続けて欲しかったのに」
「なんで?」
「だって、瑞希さんの方が若いし! ねえねえ、瑞希さん、妹とかいないの?」なるほど、それが狙いか。「お願い、誰か紹介してよー。こんな僻地の男子校だし、出会い全然ねえの。三年間絶望決定だよ、俺ら可哀想でしょ!?」
「あー、どうせ紹介してくれんなら、俺は妹の友達がいーなあ」
 わらわら集まってきた一年生の最後尾で、逸哉が意地悪くそう言ってくる。一瞬にして、瑞希の愛想笑いが固まった。またおまえか、榊野逸哉め! いい加減イラっときている瑞希に気づいた様子もなく、一年生たちがこう言い募った。
「ね、瑞希さん、どうなんですか!?」
「いやいや、高校生に紹介する当てなんかないって。あ、凄い年上でもいいなら別だけど」
「え、マジ!? んじゃ、もしかして、瑞希さんも高校生ってアリ!?」と声を上げる笑顔が、なんとも言えずわざとらしい。うん、完全にお世辞。おだてて良い気分にさせてあわよくば女の伝手を引っ張りたいって、顔に書いてある。「どうなんすか、瑞希さん!」
 瑞希は空笑いをして手刀を振った。
「アハハ、ないない、ないです。ていうか、こう見えてわたしにだって、ちゃんと、彼……」
 氏が。
 とでも騙っておこうと思ったところで、ピタリと止まる。そうだ。こいつらも、美代子のスピーカーを聞いている可能性がある。
 すると、瑞希の顔色を見た逸哉がこう言ってきた。
「いないでしょ、彼氏は。振られたばっかりなんだから。あ、それとも脳内の話っすか」
 ……高校生に本気の殺意を覚える日がこようとは、思わなかった。

「はぁ……」
 いまひとつだと評判の手料理の残飯を片付け、瑞希は息をついた。
 食堂の片隅には、インコのゲージが置いてある。ちょっと覗いてみると、愛らしいインコが瑞希が替えてやった水を美味しそうに飲んでいた。ゲージの目立つところに、美代子の筆跡で『ラグ男』という央学ラグビー部由来と思われるなんの捻りもない名前が記してあった。
『オハヨー』
「お、喋った。ラグ男、おはよう」
 美代子が教えていたのだろうか。結構発音がいい。インコと戯れて癒されていると、ラグ男がまた喋った。いわく、『タックルタックル!』。
「タックル?」いきなり格闘技の技名を口にしたインコを見て、瑞希は一瞬首を傾げた。しかし、すぐにこう合点する。「……ああ、ラグビーにもあるんだっけ。タックル」
 格闘技と同じ技名が存在するとは、本当に荒っぽい球技である。美代子の飼いインコは、得意げにラグビー用語らしき言葉を立て続けに喋った。
『ラック! モール! ハンドオフ! ――ドロップキック!』
「……え、ドロップキック? それって、プロレス技の?」瑞希は止まった。「いやいや。いくら闘球ったって、それはさすがにあり得ないでしょ……」
 ……いや、あるのか? よくよく考えると、ラグビーはタックルも反則ではないスポーツだ。もしかすると、反則なんかないのかもしれない。なんという修羅のスポーツか。
 思わず苦虫を嚙み潰したような顔をしていると、ふいに携帯が鳴った。
『――もしもし、瑞希? あたしあたし』
「あっ、朝実(あさみ)? 久しぶり、元気にしてた?」
 電話口から聞こえた親友の声に、瑞希はパッと笑顔になった。
 瑞希と朝実は、オムツの頃からの付き合いだ。朝実は、十代の頃は雑誌の読者モデルまでしていたが、今では四人の子持ちだったりする。最近は、子供たちに『ベイマックスに似ている』なんて言われているらしい。瑞希より人生を先取りしすぎているその朝実が、こちらの近況をこう訊いてきた。
『どう? おじさんのラグビー部は。寮母の仕事、頑張ってる?』
「んー。まあ、適当にね」
『相変わらず、ラグビーに全然興味なさそうだね』そう笑ったあとで、朝実は瑞希にこう言った。『あ、そうだ。覚えてる? 瑞希、この前婚活パーティー参加したいって言ってたでしょ。探しといてあげたよ、初心者向けのリーズナブルなやつを』
「え?」
『親切な親友に感謝しなさい。もう申し込んじゃったから、忘れずにちゃんと行ってよね』
 それだけ言うと、朝実は電話口の向こうの家庭の喧騒に帰っていった。瑞希はあんぐりと顎を落としたのだった。

「まったく、朝実め……」
 やられた。奴のお節介にも困ったもんだ。白虹寮の屋上に出て、自分の洗濯物を干しながら、瑞希は携帯で時間を確認した。わざわざ銀座で開催される婚活パーティーなんか申し込んでくれるもんだから、移動だけで往復数時間かかる。
 屋上で瑞希が伸びをしていると、ふいに、ラグビーグラウンドの方から喧騒が聞こえてきた。ラグビーグラウンドは、山の斜面側に位置している。白虹寮の屋上からは、ラグビーグラウンドで寮生たちが練習している様子がちょうどよく見えた。
「……?」
 目を上げると、あの楕円形のラグビーボールが青空高く舞い上がっていくところであった。
「あっ……。……え?」
 瑞希は呆気に取られた。あんなに高くまで張られたラグビーグラウンドのネットを、ボールは軽々と越えていった。そして、そのまま数軒ある近所の民家の一つに落下する。
 すぐにラグビーグラウンドから、数人が駆け下りてきた。ヤスシに、逸哉や龍之介なんかの一年生もいる。
「――申し訳ございません! またボールがお宅に落ちてしまいまして……」
 屋上まで聞こえる大声で、ヤスシが叫ぶ。
 ヤスシのインターフォン越しの謝罪に、住民らしき男が玄関から怒ったような顔を突き出した。米つき飛蝗(バッタ)みたいに、ヤスシはぺこぺこと頭を下げている。もしかして、結構日常茶飯事なのだろうか。瑞希には、あの高いネットを飛び越えるキックなんか、強風に煽られでもしない限り蹴ることができないように思えるのだが。
 だがしかし、今日は風がない。
 瑞希は目を丸くした。
「……ええ? 偶然、じゃなくて?」
 こんなプレイが、ラグビーでは可能なのだろうか。それも、高校生に? とても信じられない。今見たような高く上がるキックを、たとえば試合なんかでは見ることができるのだろうか。本当に出来るなら、……それは凄いことだ。
「……」
 ヤスシと近隣住民の会話を屋上に残して、瑞希は室内に戻った。もう準備しないと、親友の計らいに遅刻してしまう。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/