虹を蹴る 虹を蹴る

第二回「生意気すぎる、高校生」

2019.08.16 Fri

 白虹寮に、帰りたくない。
 タクシーを途中で降りて、瑞希は人気のない夜道をふらふら歩いた。なんという意味のない時間稼ぎ。我ながらしょうもない。
 缶ビールを片手にアスファルトをヒールで鳴らしていると、ふと通りの向こうから誰かが現れた。蛍光色の刺繍が見える。うげ、央学闘球部だって。なんだってこんなにも瑞希は、央学ラグビー部と縁深いのだろうか。――現れたのは、またも榊野逸哉であった。逸哉は、瑞希を見てあからさまに顔をしかめた。
「……あれ、あんた瑞希さん? うわ、化粧濃っ。どうしたんすか、その顔面は」
 まるで顔面に大事故が起きたかのように逸哉に指摘され、瑞希はしまったと思った。男子高校生と寝起きを共にするにあたり、一応マナーとして限りなく女を見せずにすごそうと、化粧にも服にも敢えて手を抜いていたのだ。それだけにこの気合の入った様を今さら見られるのは恥ずかしいが、相手が逸哉でよかった。こいつなら、アラサーの化粧の有無なんかでガタガタ動揺するほどの可愛げなんか持ち合わせてはないだろう。そう思った瑞希の予感は的中して、逸哉は平静な顔に戻ってすぐにもうひとつ嫌みを付け加えてきた。
「なに目当てのどこ狙いなんですか。急に女装とかされても、引くだけなんですけど」
 逸哉の生意気な顔を見上げ、瑞希は口を尖らせてこう言い返した。
「いいでしょ、別に。寮母にだって、プライベートくらいあるよ」
「まさか、飲んでるんですか」
「大人ですから」どうせバレているなら構うまいと、瑞希は缶ビールの続きを堂々と飲んだ。「そっちはなに? こんな時間に出歩いて、不良ですか」
「別に。あんたには関係ないでしょ」
 逸哉の反応は素っ気ない。でも、酔っ払いへの対応なんか、こんなもんか。瑞希は、そっぽを向いた逸哉に、軽い気持ちでこう言った。
「どうせグレるんなら、ラグビーでガンガンやっちゃえばいいのに」
「……は?」
 虚を衝かれたような目をした逸哉の表情は、思ったよりも幼かった。しかし、身長は高い。たぶん百八十センチ以上あるだろう。白虹寮に来て唯一よかったことは、自分がのっぽさんなことを忘れられることだ。基本的に白虹寮には、縦にも横にも大きいのが多い。その逸哉の顔を見上げて、瑞希はこう言った。
「だってさ、ラグビーってタックルにドロップキックまで反則じゃないんでしょ? もうなんでも有りじゃん」
「……それはボケで言ってるんですよね。つーか、そもそもタックルだってルールはあるし、ドロップキックの方は完全に勘違いしてるでしょ」
「ねえねえちょっと訊きたいんだけど。ラグビーってパンチはありなの?」
 ヘラヘラ笑いながら瑞希が訊くと、逸哉は呆れたように肩をすくめた。
「なし。反則」しかし、すぐにこう言い直す。「……あ、グーはなしだけど、パーならありかも。ハンドオフ」
「うわ、ラグビー半端ないね。じゃさ、ドロップキックは? ボール持ってない奴にもやっていいの?」
「いや、ドロップキックってのは、ボール持ってる奴にやるんじゃなくて、ボール持ってる奴がやるんだよ」
「……?」
 アルコールにふやけた瑞希の脳内で、アーモンド型のボールを胸に抱えた大男が横殴りにジャンプして敵にドロップキックを放った。不自然極まりなく思えるが、こんな攻撃が果たして有効なのだろうか。ちんぷんかんぷんである。
「変な技だね。そんなの、試合中に使えるの?」
「キックオフでは毎回使うけど。まあ、ドロップキックで直接ゴール狙う場合はそんなに難度は軽くないし、失敗したら非難囂々のスタンドプレイだからね」
「ふーん」
「監督の娘とは思えないな。あんたさ、一個でも知ってるラグビーのルールあんの?」
「ないよ。今まで全然興味なかったもん」
「やる気なさすぎでしょ。なんであんたみたいなのが央学(ウチ)の寮母になんかなったんだか。……ああ、縁故採用か。綺麗ごとばっかり言ってるけど、大人ってホントやることが理不尽だね」
 痛いところを衝かれて、瑞希はバツの悪い顔になった。むすっとして、逸哉にこう言い返す。
「……そっちだって、どう見てもやる気ないでしょ。こんな時間まで起きて一人でフラフラしちゃって。普通夜抜け出すのって、友達とやるもんでしょ。もしかしてきみ、部内で浮いてるんじゃないの?」
「別に。メンバーも足りないラグビー部でなんか、俺だって真剣にやってないし」
「そうなの?」
「そうだよ。十五人揃わなきゃ、まともに勝負なんかできっこない」眉をひそめてそう言うと、逸哉はこう続けた。「そんなことよりさ。どうでもいいけど、そんな化粧して男漁りしてるとことか見せないでくれる? そういうの、気持ち悪いから」
「!」
 勘付いていたのか。驚いて、瑞希は逸哉を見た。逸哉はさっさと白虹寮に向かって歩き出し、背中で瑞希にこう言った。
「それじゃオヤスミ。やる気のない臨時寮母さん」

→第三回「初めての試合観戦」に続く。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/