虹を蹴る 虹を蹴る

第三回「初めての試合観戦」

2019.08.23 Fri

翌朝早く、瑞希は布団の中で目を覚ました。玄関から、靴音が聞こえたのだ。部屋はまだ、薄暗い。そういえば、昨日もこの音を聞いた気がする。その前も、その前も。瑞希が白虹寮に来て以来ずっと、誰かが毎朝欠かさず出かけているのだ。いったい、あれは誰なのだろうか。
「うぅっ……、寒っ……」
 早朝の冷気にぶるりと震え、瑞希はまた布団の中に潜り込んだ。

 再び目覚めると、案の定酷い二日酔いであった。夢見は最悪で、布団の中にまであの性格の悪い逸哉が追いかけてきて、嫌みを言ってきた。
 やる気がない。縁故採用。男漁り。
 逸哉が嫌な奴であることは間違いないが、もっと悔しいのは、あんな子供の言い捨てた皮肉が全部核心を衝いていることであった。
 それにしても、どうしてこう逸哉は瑞希に突っかかってくるのだろうか。もしかすると、カツオはよっぽど寮生たちから嫌われていたのかもしれない。だが、理不尽だ。それなら、カツオの敵である瑞希は、むしろ寮生たちの仲間なのに。哀しいかな、みんなでカツオをハブろうぜ、という空気には、一切ならない。
 朝食で使った食器を洗っていると、いつものように手伝ってくれている龍之介が瑞希の顔を覗き込んできた。
「今朝は顔色悪いですね。大丈夫ですか、瑞希さん」
「昨日ちょっと夜更かししちゃって」そう答えてから、完全に『瑞希係』と化している可哀想なほどお人好しな龍之介に、ふとこう訊いてみた。「……そういえば、如月君って榊野君と仲が良いよね。もしかして、同じクラスなの?」
「そうですけど。でも、逸哉とはもともと家が近所で、小学生からの付き合いだから」ふーん。瑞希と朝実みたいなもんか――いわゆる親友だ。「だけど、なんでですか」
 だって、向こうがやたらと絡んでくるから。そう思ったが、あまりに大人気ない言い分な気がして、瑞希は言葉を呑み込んだ。
「えっと……。榊野君って、ラグビー部でいろいろありそうだから」奥歯に物が詰まったような言い方になってしまった。「如月君は真面目そうだし、二人とも全然違う雰囲気じゃない? 仲良いのが、……意外っていうか」
 言ってから、瑞希はちょっと後悔した。やっぱり、こんなことを訊くべきではなかっただろうか。
 しかし、瑞希の言わんとするところを察したのか、合点したように龍之介は頷いた。
「……そう見えるかもしれないですね。あいつはああいう奴だから、あんまり部活の上下関係とかに迎合しないところがあって。だから先輩から睨まれたりするのは、昔からといえばまあそうです」
「やっぱり」瑞希は深く納得した。「先輩とか年上とか、関係ないって感じだもんね」
「央学でも、先輩相手に端っからタメ口ですからね。練習メニューを無視して一年のバックスで、実戦で使えるかもわかんないようなサインプレイの練習とか始めたりするから、ヤスシにもよく怒られてます」
「ヤスシ先生かぁ。体育の先生だし、やっぱり怒ると怖い?」
「そりゃあね。ほら、『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE(ワン フォー オール、オール フォー ワン)』って、聞いたことありません?」
「ああ、あの有名な」国民的アニメの某キャラクターを思い浮かべ、瑞希は頷いた。「あれでしょ? おまえのものは俺のもの、俺のものも……」
「それじゃないです。出典は、アレクサンドル・デュマの三銃士」
 そう突っ込まれ、瑞希は首を傾げた。龍之介の口にした英文は、確かに何度か聞いたことがある。少し考え、瑞希は拙い英語力で和訳してみた。
「……一人はみんなのために、みんなは一人のために?」
「それは誤訳」
「え?」
「ホントの意味は……。まあいいや。考えといてください」
 瑞希がきょとんとすると、龍之介は肩をすくめた。
「だって、ヤスシはその誤訳の方の意味でとらえてるみたいですから。だから、誰かがやらかしてヤスシに怒られたら、即部全体の連帯責任ってわけ。逸哉のせいで練習がさらにキツくなるから、部内で余計に睨まれてるってのはありますね」
 まさに和と輪を乱す大迷惑者である。被害を被っていたのは、瑞希だけではなかったということだ。
「央学に入る前からそんな感じなの?」
「でも、これでも今の方がまだマシなんですよ。中学の時は、ラグビー部の監督と喧嘩して辞めさせちゃいましたから」
「えっ……。……これで?」
 瑞希は、拳を振り上げる仕草をした。けれど、龍之介は首を振った。
「まさか。原因は、チームの司令塔だった逸哉が、中学の監督の言うことを聞かなかったからです。で、怒った監督に言われたんです。自分はもうなにも教えないし指示もしないから、おまえが本当にチームの司令塔の役目を果たせるっていうなら次やる試合で勝ってみろって。売り言葉に買い言葉で、逸哉もその挑発に乗って。それ、かなり強いチームとの対戦だったんですけどね」
 生意気にもほどがある。その中学の監督とやらもずいぶんと大人気ないが、瑞希は彼の気持ちの方がよくわかった。けれど、顛末もなんとなく想像がつく気がした。
「……で、結果は?」
「勝ちました」ため息をついて、龍之介は続けた。「そんなことになって、監督なんか続けられるわけないっすよね。当然監督は俺らが止めるのも聞かずに辞めちゃいました。結果的に、チームは事実上の瓦解。逸哉は、事情を知った親父さんに思いっきりぶん殴られたらしいけど」
 まるでチームクラッシャーだ。さっきまで逸哉が鼻つまみ者だと聞いて下げていた溜飲が、急に喉元に戻ってきたような気がした。それにしたって、可哀想なのはその監督である。中学の監督というからには、瑞希のように個人的な恨みを晴らすためにやったわけではあるまい。おそらくは逸哉を成長させるために、高すぎるあの鼻っ柱を折って現実を知らしめようとしたのだろうが――。大人が大人気なく用意した難関ハードルをあっさり打破してしまうとは、なんという少年だろう。

ページ: 1 2 3 4

INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/