虹を蹴る 虹を蹴る

第三回「初めての試合観戦」

2019.08.23 Fri

 央学の校舎から、昼を告げる『Over the rainbow(にじのかなたに)』の美しい旋律が響いていた。
 五月に入って、日差しはますます強くなっていた。荷物の底に紛れ込んでいた流行遅れのカンカン帽を引っ張り出して、瑞希は抜けるように晴れ上がった空を見上げた。校内を覆う生垣には色鮮やかな躑躅が花開き、爽やかな初夏を彩っている。
 強豪校にボコボコにやられる逸哉の姿でも見てやろうという不純極まりない動機で、瑞希はグラウンドに足を踏み入れた。ヤスシを探すと、相手チームの監督たちに挨拶を終えて戻ってきたところであった。
「お疲れ様です、ヤスシ先生」そう頭を下げてから、瑞希はこう言った。「ラグビーのグラウンドって、大きいんですねえ。端から端までどのくらいあるんですか?」
「うちのはちょうど百メートルですかね。サッカーと似たようなもんですよ」
 なるほど、確かにサッカーと同根のスポーツだ。けれど、ヤスシが示した先にあるのは、サッカーゴールではなく、アルファベットのHを描く白いゴールポストだった。
 人工芝を踏みしめた瑞希は、目を瞬いて息を呑んだ。
「うわぁ……。凄く気合が入ってますね」
 グラウンドでは、紫紺と黒の縞模様のジャージを着込んだ高校生たちが、例のアーモンド型のボールをパスしながら駆けていた。風を切り裂くようなパスが目にも留まらぬ速さで飛び交い、そのたびに大きくかけ声が上がった。練習試合とは思えない、真剣な表情。グラウンドを駆け抜ける少年たち一人一人の放つ気迫が、グラウンドの外に立つ瑞希たちのところにまで張り詰めたような熱気を届けていた。
「あの……。まさかこの子たち、央学ラグビー部ですか」
「いや、よく見て。央学のジャージは水色です」瑞希にそう教え、ヤスシは続けた。「あれが、清盟大付属高校ラグビー部。央学ラグビー部も歴史は古いんで、この時期に彼らと交流試合をする伝統があるんです」
 ふと目を移すと、清大付属の反対側で、人員もまばらな水色ジャージがウォーミングアップを始めていた。なんだか、試合前から敵に気後れしてしまっている様子である。清大付属の醸し出す強豪のオーラのせいで、存在感が限りなく消えていた。
「ああ、本当だ。あっちが央学ですね」いつも通りの面々を見て、なぜだか安心する瑞希である。「でも、なんか元気ないですね、みんな」
「参考までに、清大付属と央学のこれまでの戦績でも訊いときます?」
「いえ、いいです」
 瑞希は急いで首を振った。グラウンドから上がっている声の大きさからして、違いすぎる。
 それから、ふと逸哉の言葉を思い出した。
「そういえば、央学ってメンバーが足りないんですよね。足りない部員はどうしたんですか?」
「こういう大事な試合がある時は、他の部から部員を借りてくるんですよ。ほら、あいつら、白虹寮の寮生じゃないでしょ?」そう言われても、いまだに寮生の顔と名前をあまり覚えていない瑞希である。それでも一応頷くと、ヤスシは続けた。「自分、サッカー部の顧問とは結構仲良くて、いつも協力してもらってるんです。手前が二組の速水恒生で、俺が担任を持ってるクラスの生徒です。で、奥にいるのが五組の鈴木章雄」
 速水という男子の方が長身で、鈴木の方は小柄だが、がっちりとした骨太な体型をしている。二人は、逸哉となにやら話し込んでいるようだ。まさか、サッカー部への転部の相談だろうか。
 しかし、瑞希は首を傾げた。人数も足りない央学ラグビー部が、こんな強豪を相手に試合をする意味はあるのだろうか。そして、その逆は。瑞希は、その疑問をヤスシにぶつけてみた。
「清大付属って、もしかしなくても央学よりだいぶ格上ですよね」
「どうかな。今日の対戦は、清大付属のCチームとですから」
「C……、え?」
「清大付属くらいの名門になると、部員数百人近いのはザラです。今日はAチームとBチームは別のところで練習しているらしいんで、来ているのは一年生中心のチームだそうです」
「はぁ……。つまりは、一年生主体の三軍相手なんですか」
 ライオンはウサギを狩る時も全力を尽くすというが、相手がウサギ以下である場合はまた話も変わるのかもしれない。それでも、清大付属陣営は、監督やジャージ姿のスタッフに加え、立派な三脚を抱えた撮影班にご観覧の保護者までもがズラリと揃っていた。一方、央学側はといえば、瑞希とヤスシのみである。
「でも、彼らも二年後には花園予選で活躍する可能性の高い選手たちですからね。こうして試合をすることで、得られるものも多いと思いますよ」
「へえ」
 あれだけの気迫を放っている彼らも、まだまだヒヨコも同然というわけか。そして、央学はヒヨコ未満の卵ということである。中からなにかが産まれる可能性があるかは不明だが。なんにせよ、瑞希にとっては異世界の話だ。
「それじゃ、花園って?」
「秋に行われる全国大会のことですよ。花園ってのは、ラグビーやってる高校生にとっては聖地みたいなもんです」
 というと、高校野球でいう甲子園みたいなものか。しかし、あんなに自信のなさそうな央学ラグビー部では、この清大付属のフレッシュな一年生と挨拶を交わしただけでゴールポストまで吹っ飛ばされてしまうのではないだろうか。始まる前から結果が知れているようにしか思えなかった。体の大きさだけなら、一年生だけの清大付属Cチームよりも、むしろ央学の方が上まわっているのだが。
 そう言ってみると、ヤスシは少し神妙な顔をした。
「そうですね。央学のラグビー部も、去年まではもっと覇気があったんですが……」
 しかし、ヤスシはそれ以上続けなかった。不思議に思っていると、瑞希はふと、清大付属の高校一年生たちの中でも特に異質な選手がいることに気がついた。
「……」
 瑞希は、思わず目を奪われた。
 背は抜きん出て高いわけではない。しかし、集まったギャラリーやチームメイトまでもが、どことなく彼を意識しているのがわかる。一種独特なオーラを放っている彼がただ走るだけで、野次馬が湧いた。指先から足先までを強い意志が支配しているかのような彼の動きを追って、バズーカみたいなカメラを抱えた男が望遠でパシャパシャと撮っていた。
「あの男の子……。有名人なんですか?」
「天城ですよ。天城圭吾。清大付属中学から上がってきた奴で、中学時代はほとんど負けなし。一年生からいきなりレギュラーで、春の大会でも活躍しました」
「はあ……」よくわからないが、凄い経歴なのだろう。瑞希の感覚からすれば、ラグビーなんてマイナースポーツにしか思えないし、その部に百人近くも所属していること自体驚きだが、どこの世界にもスターはいるということだ。「でも、どうしてその将来有望な彼がCチームに?」
「ねえ、ホントに。本来なら清大付属Aチームのメンバーのはずなんですけど……。調子でも悪いのかな」
 こればっかりは、ヤスシにもわからないようだ。瑞希は、ヤスシと一緒になって首を傾げ、これから有名になる可能性大の天城圭吾に握手でもせがみに行くべきかどうか思案し始めた。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/