虹を蹴る 虹を蹴る

第四回「本当のきみは」

2019.08.30 Fri

 結果は見えたし、もう帰ろうか。
 やっぱり、ラグビーの魅力なんか、そう簡単にわかるものじゃないみたいだ。その後も、清大付属のCチームにいいようにやられ、央学はどんどん突き放されていった。得点板はグラウンドを向いているので瑞希からは見えないが、大差がついていることは間違いなかった。清大付属の応援席は、もう勝利したかのようなムードになっている。
 ハーフタイムに入ると、ヤスシは選手たちに指示と叱責を飛ばしていた。でも、それを聞く央学の選手たちは、誰も彼も、ヤスシから視線を逸らし、時折頷いたり、小さな相槌を打つ振りをしてこの練習試合をやり過ごそうとしているように見えた。前半の三十分を動きまわったはずなのに、息を切らしているのなんか一人もいない。
 てんでバラバラな動きで、央学の寮生たちはグラウンドに戻っていった。示し合わせたように、みんな目を地面に落としている。対する清大付属Cチームは、とっくに戦闘開始の準備を終えていた。駄目だこりゃ。
 人工芝に埋め込んでいた重い腰を、瑞希はよいしょと持ち上げた。後半戦という名の消化試合を帰り際に眺めていると、ふと、グラウンドに立つ逸哉がこちらを見上げた気がした。
「……?」
 瑞希が首を傾げていると、味方からパスを受け取った逸哉が、そのボールを大きく蹴り上げた。
「あ……。ドロップキック」ヤスシが、そう呟く。ボールの軌道が高く孤を描き、アルファベットのHの形をした真っ白なゴールポストへと吸い込まれていった。「これで三点。央学初得点です」
「え、ドロップキックって、アレのことなんですか……?」
「そうですけど」不審そうにヤスシが首を傾げた。「ボールを地面に落下(ドロップ)させてから蹴るキックだから、ドロップキック。名前のまんまでしょ。今のはゴール狙いだったけど、得点後の試合再開(キックオフ)では毎回蹴ってましたよ」
「……そう、なんですね」
 ヤスシの解説に、瑞希はなんとか頷いた。想像とはだいぶ違うプレイだ。逸哉がやけに呆れていたわけである。思わず、瑞希はこう言った。
「でも……、敵を避けながらあんなに遠くのゴールにドロップキックを決めちゃうなんて……。榊野君って、凄いんですね」
 心ならずも、瑞希は逸哉に感心してしまった。
「ええ、凄いです」そう言ってから、どこか不思議そうにヤスシがこう続けた。「でも、珍しいな。逸哉の奴、普段はあんまりキックを使わないんだけど」
 そういえば、龍之介もそんなことを言っていた。でも、今日は、なんで? 思わず足を止めた瑞希の視線の先で、例のラックという密集ができた。
 そこから偶然転がったボールを央学側が拾って、チームの一番後ろに構えている逸哉にパスが渡る。
 瑞希は、我知らず期待に目を見開いた。またあの冴え渡るようなキックが見られるのだろうか。
 しかし、逸哉はキックを蹴らなかった。
 受け取ったボールを持って、逸哉は、まるで前半戦の清大付属にやられた攻撃をそのままやり返すように、わざわざ人数の揃っている中央へと切り込んでいった。踵を突くような健気な敵の低いタックルを嘲笑うように、軽快なハンドオフで突き倒すと、そのままスピードに乗った逸哉は、広大に広がる無人の敵陣へと一人駆け抜けた。天城の駿足がそれを追うが、初動がわずかに遅い。逸哉はたった数歩で天城をグラウンドに置き去りにした。
 果たして、逸哉は何十メートルを独走したのだろうか。その姿は、まるで不思議な燐光を放っているかのようだった。
 知らぬ間に、瑞希は逸哉の一挙手一投足に目を奪われていた。いや、瑞希ばかりではない。清大付属の観客席も、なにが起こったかわからないというように呆気に取られ、あれほど明るかった歓声は鳴り止んでいた。
 瑞希は急いでヤスシの隣へと戻った。
「あの、今のってどうやって……。あんなに人がいたのに、あそこを抜いていけたんですか」
「隙間(スペース)があったんでしょうね。向こうもちょっとこっちを舐めてましたから、ディフェンスが前半ほどは嚙み合っていなかったのもある。だけど、それを差し引いても目を瞠るものがありました。あいつの視野の広さと勘の鋭さは宝です」
「……」
「今日、逸哉はフルバックで出てるんです。最後尾からグラウンド全体を見渡せるポジションだから、適性はあると思います。けど、本当はスタンドオフをやらせたい」
「スタンドオフっていうと……」
「チームの司令塔(しれいとう)です」
 その答えに、瑞希はドキリとした。龍之介が言っていた。彼らの中学のラグビー部を瓦解させた、傑出しすぎた司令塔(スタンドオフ)。
「でも、逸哉はああいう奴ですから。司令塔になっても、仲間はついてこないでしょう。……なかなか、思うようにいかないものです」
「……」
 央学のノロノロとしたスピードに慣れ切っていた清大付属のCチームは、逸哉の速さに反応がついていかなかった。その後も逸哉は天城の激しいマークをかわし、追加トライを決めた。
ゲームの最終結果は五十五対十三。だが、心に残っているのは、量産された清大付属の鮮やかなトライよりも、逸哉のファインプレイだった。聞くつもりのなかった試合終了の笛を耳にした瑞希は、寮生たちのもとへ行こうとするヤスシを思わず呼び止めた。
「あの、ヤスシ先生!」
 思いの外大きな声が出た。足を止めたヤスシの背中に、瑞希はこう尋ねた。
「……もしかして、榊野君って天才なんですか」
「その言葉、俺は好きじゃないけど」わずかに振り返ったヤスシは、低く続けた。「まあ、その気はありますね。今のところ俺が思うに、――あいつは天才です」

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、9/20に集英社オレンジ文庫として刊行されます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画