虹を蹴る 虹を蹴る

第四回「本当のきみは」

2019.08.30 Fri

 歓声が、今も耳に響いていた。
 今日の逸哉にこんな喝采が送られることはなかったというのに、確かに瑞希の耳には、彼の素晴らしいプレイを称える歓声が聞こえていた。
 白虹寮に戻って夕食の準備をしながら、瑞希は逸哉の姿を思い起こした。グラウンドに立っている味方や敵ですらをも魅了するようなプレイ。唯一その魔法にかかっていなかったのは、あの天城圭吾くらいのものだろう。逸哉はたった一つのプレイで、まったくラグビーに興味のない瑞希の心をこんなにも強く惹きつけてしまった。
 逸哉がどうしてラグビーをやめないのか、そして、龍之介がどうして逸哉と友達なのか。
 その理由が、瑞希にはわかった気がした。本人に自覚があるかどうかはわからないが、逸哉はきっと、ラグビーを愛している。観る者にそれを伝えるだけの力が、今日垣間見た、冴え渡るような一瞬にすら溢れていた。
 しかし、いろんなものに邪魔をされて――仲間とか、チーム環境とか、既成概念とか、常識とか、……大人とか? たぶんそうなんだろう――まっすぐに突き進むことができずにいる。
 逸哉は嫌な奴だ。今生じている軋轢は、本人のせいという部分もかなりあるのだろう。心技体でいう心が欠けているということだろうし、人好きのする性格の持ち主ではないのは確かだ。けれど、本当に逸哉は、今のままでいいのだろうか。気が付けば、また瑞希は頭の中で逸哉の姿を追っていた。というか、意識が離せなかった。
 いつの間にか、夕暮れを知らせる『Over the rainbow(にじのかなたに)』の旋律が鳴り響いていた。虹の弧を描くようなあの美しいロングキックの彼方には、――いったいなにがあるのだろう。いつか、彼は瑞希に、見せてくれることがあるのだろうか。

 やがて、後片付けを終えた一年生たちが、ぞろぞろと廊下を通っていった。
「今日さ、ホントに凄かったよな!」
「逸哉の奴、天城に全然負けてねえじゃん。これもしかしてイケんじゃね? 今年とは言わないけどさ、俺らの代になったら……」
「いやいや、それはさすがに無理でしょ」
 どこか期待するような、そしてそれを打ち消すような、複雑な感情が入り混じった会話。それを聞いて、我知らず瑞希はこう応えた。
「……どうかな。そんなに無理でもないんじゃない?」
 言ってみて、自分でも戸惑う。いやいや、なに言ってんだか、自分。だって、ラグビーとか、一ミリも興味ないでしょ。
 ……いや、違う。それは嘘だ。今の瑞希は、ラグビーに興味を持ちつつある。逸哉のせいで。
だけど、ちょっと興味を持ったところで、一歩踏み出すのがそんなに簡単なわけはない。そもそも、素人の、それも根性なしの瑞希なんかに、できることがあるはずもない。中途半端に手を出すのは、なにもしないより悪い場合だってあるのだ。それなのに、そう思っているのに、瑞希は何度も脳裏でリプレイしてしまうのだ。今日の逸哉を。
「……」
 瑞希は、唇を嚙み締めて、自分の胸のうちにある衝動を認めた。単純に、瑞希は見てみたいのだ。逸哉という少年がどこまでいけるのかを。
 どこか逡巡するように、瑞希は夕食の調理を続けた。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/