虹を蹴る 虹を蹴る

第六回「チーム崩壊の危機」

2019.09.13 Fri

「啓太さん、待ってください!」
 振り返ったのは、二番(フッカー)で部長の啓太だった。スクラムの最前線(フロントロー)の真ん中を担う啓太は、背はそう高くはないが、もぐもぐ君と同じくらい太い首とがっしりした肩や二の腕を持っている。その啓太に、龍之介は深々と頭を下げた。
「さっきは生意気言ってすみませんでした」
「いや……、おまえが謝ることじゃないだろ」
 戸惑ったように、瑞希の顔をちらっと見る。瑞希は、ちょっと会釈をして急いで二人の横を通りすぎた。その背中で、啓太の潜めた声が聞こえる。
「……腹が立ったのは確かだけどさ。ぶっちゃけ俺も、おまえとか逸哉の言ってることもわかるし。今日はフォワード、全然駄目だったよな」
 啓太の反応に、瑞希は目を瞬いた。そして、ヤスシの人物評を思い出す。押し出しが弱く、大人しい。その間にも、龍之介の声が聞こえた。
「すみません、また生意気だって思うかもしれないんですけど……。逸哉はああいう性格だから言わないけど、フォワードがやられてホントは滅茶苦茶悔しがってるんです。だって、啓太さんたちとラグビーやる気で、央学受験したんだから」
「は?」
「他の先輩にもちゃんと説明しますけど。実は俺、中学の時、あいつと一緒に央学にラグビー部の見学来たんですよ。清大付属も行きました。でも、あいつは央学に進学してもう一回ラグビーやるって。だから、俺も央学を受験しようって決めて……」
 どんなに歩調を遅くしても、だんだん白虹寮が近づき、声が薄らいでいく。振り返りたくなるのを、瑞希はなんとか堪えた。

 もう何度目になるだろうか。瑞希は、不在の少年を待って、誰もいなくなった夜の食堂の壁掛け時計を見上げた。
 その時だった。ふいに携帯が鳴る。それは、SNSのメッセージだった。見覚えのない名前に、瑞希は首を傾げた。
「誰だっけ、これ……」少し考えてみて、瑞希はやっと思い出した。「……あ、この間の婚活パーティーで会った人か」
 あの婚活パーティーでの出会いに一切ピンとは来るものはなかったが、一応何人かとは連絡先を交換したのだ。メッセージを読むとなにげない内容で、瑞希の機嫌を取るようでもある。
「……ま、いっか。いいよね」
 ちょっと考えて、結局瑞希は携帯をテーブルに置いた。今は央学ラグビー部のことばかりが気になって、ちっともそんな気分になれなかった。一日二日置いて返事をすれば、まあこっちの意図は伝わるだろう。
 するとまた、携帯が鳴った。今度は美代子からの着信だった。
『――もしもし、瑞希ちゃん?』
 久しぶりに娘の声を聞いた母は、機関銃のように喋りまくった。それも、やたらと幸せそうだ。療養はまだ時間がかかるようだが、新婚旅行のやり直しとやらの方の首尾は上々らしい。しかし、代償にチームはえらいことになっている。
「……楽しそうでよかったね」央学ラグビー部の現状を訴えようか迷って、瑞希は結局話題を変えた。「で、お父さんはなにしてるの?」
 すると、なぜだか美代子も声を潜めて神妙にこう返してきた。
『……監督ね。こっちで、休学している央学の生徒さんの家に通ってるのよ』
「え?」
『瑞希ちゃんには言ってなかったんだけど。実はね、央学もラグビー部も辞めて、実家に帰っちゃった子がいるのよ』美代子は続けた。『ほら……、もうずいぶん央学も全国大会に進めてないでしょう。思うように成果が出なくなって、監督も悩んでいたのよ。親御さんの希望も二分しちゃって、もっと厳しく指導してせめて花園予選決勝までは駒を進めてくれって言われたり、反対に伝統という名前の前時代的な指導は止めろって批判されたり……』
 央学ラグビー部には、栄光時代の遺物だという充実した設備が揃っている。維持費がどこから出ているか考えれば、苦情が出るのも納得できる気がした。どっちに行っても誰かが非難するってわけだ。監督業も大変だ。
『けど、監督も情熱家だから、夢中になるとまわりが見えなくなっちゃうところがあるでしょう。その子は本当に凄い子で、だから監督も頑張りすぎちゃったのね。監督の期待とプレッシャーに耐えかねて、その子は白虹寮を出たの。それ以来ずっと家に引きこもっているらしくって……。監督も何度も手紙を書いたんだけど、返事もないし……。だからね、今回お母さんの療養で、その子のところに来る余裕が出来てよかったって言ってるのよ』
 瑞希は、顔をしかめて美代子の打ち明け話を聞いた。もしかして、せっかく癒えかけたその高校生の心の傷を、カツオが追撃してグリグリ抉っているのではないか。よくやるよ、ホント。ある意味馬鹿だ。いや、正真正銘のラグビー馬鹿だ。
「……まあ、そんなことだと思ったよ」
 あのカツオが、病気の妻ごときのためにラグビーを投げ出すなんてあり得ない。カツオは、家族を失望させても、ラグビーを裏切らない一途な男なのだ。けれど、美代子はこう言った。
『口には出さないけど、監督もなんとか変わろうと頑張ってるんだよ。不器用なのは確かだけど……。そばで見ていればわかるの。もう少し違うやり方があったんじゃないかって、監督はずっと後悔してるのよ。ラグビー部を辞めちゃったあの子が、それを教えてくれたの』
「……」
 カツオのラグビーへの情熱はまっすぐだ。けれど、まっすぐすぎて、誰かを切り捨て、誰かを追い詰める。そうでなければできないのが、ラグビーという競技なのかもしれない。いや、他のどんなスポーツだって、競技である以上はそうであるはずだ。
『ONE FOR ALL,ALL FOR ONE(ワン フォー オール オール フォー ワン)』。ヤスシはその意味を、『一人はみんなのために、みんなは一人のために』だという。だが、その響きの温かさとはまったく別物の厳しさが、そこにはある。
『お願い、監督をわかってあげて、瑞希ちゃん。もう少しだけお父さんと央学ラグビー部に力を貸して欲しいの』
 わかんないよ。……とは、もう言えなかった。ラグビーというスポーツに懸ける選手をそばで見てしまったからだ。
「……わかった。大丈夫だよ、お母さん」
 美代子は瑞希にお礼を言って電話を切った。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/