虹を蹴る 虹を蹴る

第七回「真夜中、いつも一人で」

2019.09.20 Fri

「逸哉君!」
 グラウンドの端から声をかけると、キックを蹴り終えた逸哉が振り返った。難しい角度から蹴られたそのボールは、見事な螺旋を描き、ゴールポストのど真ん中を射抜いていった。その美しい軌道を確認もせずに、不機嫌そうに練習着で汗を拭って、逸哉が振り返った。
「……瑞希さんか。なにしに来たんだよ、こんな時間に」
 そのそばには、ボールケースが鎮座していた。中には、もうほとんどボールが残っていない。
「なにって……。門限破り君を迎えに来たに決まってるでしょ。わたし、きみたちの部寮の寮母だよ」
 そうこう言っている間にも、逸哉はまたグラウンドにボールを置くプレースキックを放った。楕円形のボールは、またも音もなくゴールポストへ吸い込まれた。
 瑞希は、ボールケースのそばに立って、キック練習をしばし見守った。逸哉は、眉間に皺を寄せて瑞希に苦情を言った。
「そんなところに突っ立ってられると、集中できない」
「本番の公式戦にはいつだって観客がいるでしょ。人前で使えないプレイなんか、練習したってしょうがないじゃない」
 すると、逸哉は黙って、またボールを持った。今度はグラウンドにボールを置かず、手の中から落としてそのまま蹴る。狙ったのかどうか、ゴールポストを大きく外し、グラウンドのサイドを走るタッチライン上にボールが落ちた。そこで、ボールケースの中身が尽きた。
「じゃあさ、ボール集め手伝ってよ」
「わかった」
 頷いて、瑞希は小走りにグラウンドをまわった。ドスドス。そんな音が聞こえる気がする。決してもぐもぐ君ほどの体重はないはずなのだが、瑞希のステップは軽快とは言えなかった。瑞希の数倍の速さで、逸哉がボールを回収していく。
 ボールケースの前でかち合った逸哉に、瑞希はこう言ってみた。
「ラグビーのボールって、ホント変わった形だよね。このアーモンドみたいな楕円形。バウンドはイレギュラーになりやすいし、パスもキックもキャッチしにくそう。どうしてこんな形なのかな。素人避け? 一見さんお断り的な?」
「普通に違うでしょ。まあ、いろいろ説はあるみたいだけど。俺は、豚の膀胱膨らませてボール作ったらこういう形になったって聞いたな」
「豚の? そうなの?」
 目を瞬いて、瑞希はあらためて楕円形のボールを撫でた。思いの外、硬い。チャージなんかのプレイは体を張ってこのボールを止めるわけだが、相当痛いだろう。もちろん、スクラムやタックルはもっともっと痛いのだろうけれど。
「蹴り難くないの? その……丸いボールと比べて」
 サッカーの話を出していいのか迷って、瑞希はもごもごとそう訊いた。しかし、逸哉はあっさりと首を振った。
「別に。芯をとらえるコツさえ摑めば、ボールの形なんか、四角だっておんなじだし」
「そうなの?」
 瑞希は目を丸くした。これは、キッカー共通の見解なのだろうか。それとも、逸哉が特別だからこんな風に言うのかもしれない。
「……キック、嫌いなのかと思ってた。滅多に試合で使わないって聞いてたから」そう言ってから、思い切って瑞希はこう訊いてみた。「ねえ。中学の時の最後の試合で龍之介君がキックパスを受け取れなかったから、試合でキックを蹴らなくなっちゃったの?」
「関係ないよ、そんなの」
「じゃあ、どうして一人で白虹寮を抜け出してまで夜に練習してるの? 龍之介君と一緒に、朝練すればいいじゃない」
「無理。他人に合わせんの、苦手」
 逸哉の返事は素っ気ない。でも、きっとこれが本心のすべてじゃない。
 スタンドプレイヤー。チームの和を乱す鼻摘まみ者。……だけど、親友の龍之介のために、格上の大人と戦う勇気も持っている。それは、無謀と言い換えられるかもしれないけれど。
「……そういう言い方されたら、傷つく人もいるよ。ちゃんとまわりの気持ちも考えなよ」
「無茶言うなよ。自分のラグビーだって思うようにいかないのに、他人になんか構ってられない。俺は自分一人で手いっぱいだよ」
「だから、そういう態度に見放されてるんじゃないかってまわりは思うの。なんでわかんないの?」
「俺がどういう態度取ろうが関係ないだろ。自分で選んで好きでラグビーやってんだから、自分が頑張ればいいだけの話じゃん。なんで俺がまわりのお気持ちまで慮ってやんなきゃいけないわけ? ガキかよ」
「それは、きみが……っ」思わず、ボールケースを握る手に力がこもる。瑞希は唇を嚙んだ。「……きみが、央学(ウチ)のラグビー部のエースだからだよ。みんな口ではいろいろ言うけど、いつだってきみを見てるんだよ。わからない? 央学のみんなは、きみに認められたいの」
「なにそれ、気持ち悪」
 馬鹿にするように言う。しかし、続く言葉は、どこか幼い響きを持っていた。

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INFORMATION:

小説『虹を蹴る』全編は、集英社オレンジ文庫にてお読みいただけます。

『虹を蹴る』 (集英社オレンジ文庫)
せひらあやみ著  花恵ヨシ装画
http://orangebunko.shueisha.co.jp/book/4086802740

冒頭試しよみ漫画はこちらhttps://r.binb.jp/epm/e1_122670_18092019121422/