おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。 おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。

近藤 洋 Hiroshi KONDO
(三越伊勢丹 執行役員 伊勢丹新宿本店長)

ファッションセンスとサービス精神に定評あり。
温厚な伊勢丹新宿本店長の部下は全員フォワード!?

2019.08.05 Mon

【おっさんずラグ】第8回は伊勢丹の社会人チームでもプレー経験のある近藤 洋さん。教育者を目指していた長身のラガーマン店長は、ユーモアのセンスも抜群。人事時代に学んだコーチングのノウハウで母校をサポートし、今もOB会長や後輩のキャリア支援などに飛び回る!

───近藤さんは早稲田実業高校のラグビー部でしたが、中学時代はサッカー部。

近藤 はい。早実のサッカー部はそこそこ強かったんですが、僕が中3のときは早くシーズンが終わっちゃって。プラプラしてたらグラウンドでラグビーボールを追いかけている同級生に「いっしょにやらないか」と誘われ。すぐ試合に出されて、そしたらトライをしまして。それでハマってしまいました。

───近藤さん世代によくあるパターン(笑)。

近藤 サッカー部ではバックスかキーパーで、いつも守るばかりでつまらなかった。当時の僕は、ラグビーでもボールをパスして点を取るほうがフォワードだと思っていたので「どこやりたい?」と訊かれて「もちろんフォワードですよ!」と言ったら「オマエなかかなか見どころあるな!」と。グランドでフォワードとバックスに分かれるぞと言われて点を取るほう(バックス)に行こうとしたら、「オイオイ、フォワードはこっちだよ」って(笑)。

───サッカーとは役割が違いますから。

近藤 それ以来、ずっとフォワードです。3番、5番、8番、ずっとツライところばかりですね。僕を誘った同期が3番で、高校2年の夏合宿のとき心臓に不整脈が出たので休んだ。仕方なく2番めにスクラムの強い僕が3番をやることになった。駒ケ根の夏合宿は、大学から先輩が教えにきてくれるんです。そこで徹底的に早稲田流の3番の基本を叩きこまれまして、もうイヤでイヤで途中で逃げ出そうと思ったくらいでした。

───早稲田流というのはどういうことですか?

近藤 相手より先に、低い姿勢で、速いスピードで当たるってことです。そのキツい夏合宿が終わった瞬間に3番が帰ってきて(笑)、それからは8番をやってました。

法政大学の元住吉のグラウンドでの対国士館大学戦。ラインアウトでボールを奪っているのが近藤店長(下写真)。ロッカールームは近所の銭湯だったと振り返る。

───早実から東海大に進まれたのはどうして?

近藤 早く自立したかったので、就職(公務員)が決まっていました。高校で花園に出て、仕事をしながらラグビーのコーチをやろうと思っていたんです。でも最後に負けてしまって花園に出られず…。それで、やっぱりラグビーがやりたいという気持ちが強くなり、教職のある東海大学のセレクションで猛烈なアピールをして入学しました。

───異色の経歴はそういう事情ですか。

近藤 僕は本城、吉野、津布久と花形が活躍した早稲田大学のラグビー部を見ていましたから、対抗戦の花形でエリートじゃないですか? 東海大はリーグ戦の所属だったので、印象がまったく違うんです。女性ファンが見に来るようなムードはまったくなく、全国から荒っぽい猛者が集まってくる。オレ、4年間持つかな…(笑)と不安になりました。

───カラーがまったく違ったんですね。

近藤 ただ東海大のスゴイところはまず人間形成から入る。ラグビーが強くなる前に人としてどう生きるのか、社会に出てどう貢献していくのかを徹底的に教える。2つめは授業には100%出る。当たり前のことなんですが(笑)。とにかく文武両道というのが東海大ラグビー部の教えでした。教師になるという強い意識を持ったラグビー部員も多く、卒業後は全国に散らばって、ラグビーを通して学んできたことを子どもたちに広めていましたね。

───近藤さん自身は大学卒業後、社会人チームに進まれましたが…。

近藤 大学4年のときに5勝3敗だったのに、他のチーム同士の最終戦結果により、対抗戦グループとの交流戦に進めなくなってしまったのはショックでした。卒業後は教育関係に進む予定で、内定もいただいていたのですが、当時の伊勢丹ラグビーチームの監督でもあり、人生の師でもある久保田 勇さん(故人)から強い誘いをいただいて伊勢丹に入った。それからは地獄のような毎日(笑)。

インタビューは今年、伊勢丹新宿本店本館に開設した「TANSEI」にて。

───仕事とラグビーの両立は大変でしたか。

近藤 朝7時に集合して花園神社で練習して、仕事が終わってまた練習。土日は朝から晩まで練習して、それで日本一を狙う。とんでもないプランでしたが、みんなその気になっていました。その後選手の強化があって東日本社会人リーグ(現在のトップリーグ)に上がり、石塚監督時代にはクリス、マーク、アランと元オールブラックスを含むニュージーランド人も入って、近代ラグビーにシフトしました。東日本でサントリーにも勝てるようなチームに進化した。

───充実した現役時代ですよね。

近藤 でも僕らは1日も早く引退したかった。だってキツいんだもの(笑)。マネージャー試験に合格すると引退できたので、みんなこぞって勉強しましたね。「ラグビーも日本一。伊勢丹マンとしてもトップになる」が監督の口癖で、だったらどっちかに集中したいというのが本音でした(笑)。

───仕事でもラグビーの経験がいろいろ生かされていると思いますが。

近藤 人事部の後、1993年に中国百貨店第一号店のオープニングメンバーとして出向した中国でのキツい4年間もありましたが、若手の頃のラグビーの練習に比べれば大したことはない。全然できました(笑)。もちろん、仕事のいろいろな局面でラグビーをやっていた経験やネットワークが役に立っています。フォワードはスクラムを組む役割上、すぐに群れる。バックスはどちらかというと一匹オオカミが多いんですが、ちゃんとパスはつないでくれる。案件によってどちらのネットワークが有効か、使い分けると、いい結果が出ます。飲み会は絶対フォワード(笑)。でもフォワードと飲むときはスクラムの話は厳禁です。

───なぜですか?

近藤 帰れなくなります。何年何月何日のどこと戦ったあの試合で、俺が体重かけて…と始まり、どう考えても押されていたのに「オレは負けてない」(笑)。これがフロントローの口癖で、同じ話を1日中やってます。

東海大学の後輩から贈られた寄せ書き入りジャージ。エンブレムの下にはリーチマイケル選手のサインも。奥は伊勢丹のジャージと廃部のときの寄せ書きボール。

───ラグビーワールドカップ2019日本大会で注目しているチームや選手は?

近藤 チームはフィジーとアルゼンチン。「え? ここで?」と意外なプレーが多くて見ていてワクワクします。アルゼンチンはタックルも激しくて、ラテン系らしくとても情熱的です。選手はなんといってもリーチ マイケル。熱い思いを持った男です。彼は日本国籍を取得して、自分にチャンスをくれた日本に恩返しをしたいというスピリットがあります。そこに共感できる。東海大の後輩でもありますし。

───ワールドカップにあたり何か知っておいたほうがいいことはありますか?

近藤 ワールドカップではビールを飲む機会が増えると思いますが、「バッファロー」という言葉を覚えておいたほうがいいと思います。

───「バッファロー」ですか?

近藤 ラグビーでは、ビールは左手で飲むのが慣例です。右手は握手のためにあけておかなければいけない。日本人はつい右手で飲んでしまいますが、そうするとペナルティで「バッファロー」と言われます。言われたらビールを一気に飲まないといけないので、皆さんご注意を。

PROFILE:近藤 洋 1961年12月12日生まれ。東京都出身。中学時代にラグビーと出会い、早稲田実業高校、東海大学とラグビー部に所属。大学卒業後、伊勢丹に入社し、伊勢丹ラグビー部に所属。1990年に現役を引退し、2001年廃部の時には部長兼監督を務めた。人事部、中国への出向などを経験。2014年に執行役員となり紳士・スポーツ統括部長を経て2017年から現職。「伊勢丹新宿店 NO-SIDE project」で日本大会の盛り上げにも尽力。東海大学ラグビー部シーゲイルズのOB/OG会長も務める。 Interview & Text:Hisami Kotakemori    Photos: Yuumi Hosoya