おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。 おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。

久保 博 Hiroshi KUBO
(読売巨人軍 顧問)

読売巨人軍顧問は自称「ラグビー応援団」。
釜石鵜住居復興スタジアムでレジェンドマッチを!?

2019.08.26 Mon

【おっさんずラグ】第9回は読売巨人軍顧問にしてラグビーにも熱烈な愛を注ぐ、久保 博さん。ラグビーワールドカップ2019日本大会はもちろん、その後にも、日本に本格的ラグビーカルチャーを根付かせようと画策中。古希を目前に精力的に活動するその原動力は?

───久保さんが熱烈なラグビーファンということは有名ですが、プレーヤーとしての経歴は?

久保 高校時代の2年間と大学での同好会のわずかな期間だけです。大学は、政治の季節でした。なので、プレーヤーと言うよりは「見る人」としてラグビーの魅力にとりつかれました。

───全共闘世代?

久保 ど真ん中です。浪人して東北大学に入ってすぐストライキでした。

───読売巨人軍の顧問でありながら、ラグビーへの愛をオープンにしていますが、それほどラグビーは魅力的なんですね?

久保 もちろん! 中学時代は柔道と陸上をやってました。高校の親友がラグビー部にいて人数が足りないから入らないかと勧誘されました。見学に行って面白そうだったから。最初はセンターでしたが、ガタイが良かったこと、柔道をやっていたこともあってコンタクトプレーは得意だったので、「7番(フランカー)やれ!」って。

───柔道の経験が生きたんですね。

久保 弱いチームのフランカーってすごく大変で、攻めるときも守るときも、たくさん走らなくちゃいけない。だからいつもヘトヘトでした(笑)。県立でしたが2年生の秋の県の新人戦で準優勝しました。僕は具合が悪くて出ていなかったのですが、それで「もしかしたら花園に行けるかも?」と思っていた。でも3年生になったらほかのチームはもっと強くなっていて(笑)、及ばずでした。

───残念でしたね。大学では同好会をつくられたとか。

久保 大学4年目のときラグビーサークルをつくりました。留年組の連中を20人くらい集めて。みんな不摂生してたから体力がなくて、15分ハーフにしようよ(笑)なんて言いながらやってました。それでもみんな、身体をぶつけあって汗を流すのが好きだった。タックルとラック。あの感覚がラグビーから離れられなくするんじゃないかな。

───一度やったら戻れない(笑)。

今もボランティアで応援しつづてけている釜石から贈られた、限定のラグビーボール。

久保 ラグビーに本気になって惚れ込んだのは新日鉄釜石ラグビー部のお陰です。V7時代は大学を卒業した後ですが、当時、釜石がメキメキと強くなり始めた頃です。どうしても試合が見たいと、仙台から青函連絡船と接続する青森からの夜行列車に乗って上京しました。8時間ぐらいかかったかな。早朝に上野駅に着くんです。

───東北新幹線がない時代ですからね。

久保 2、3年続けて見に行きました。東北の人間にとって、新日鉄釜石ラグビー部というのは、何と言っても希望の星だったんですよ。冬に、赤いジャージーのプレーを見て、随分と勇気づけられた人が多かったと思います。スポーツというのはこんなに人を元気にしたり、感動を与えてくれるんだと、心の底から思ったのもその頃ですね。

───ラグビーを見る感動を自分の力に変えていったんですね。

久保 文学部の学生なんて、どっちかというと夜の世界にしか生きていない軟弱人間ですから(笑)。だから、新日鉄釜石ラグビー部は、私を夜の世界から昼の世界に引き戻してくれたのかもしれません。

───読売新聞社の記者時代に釜石と神戸製鋼のV7を見られた。

久保 神戸製鋼のV7の時代は経済部にいて、ちょうど担当記者になったので、数々の名勝負を見ました。1990年の3連覇がかかった三洋電機との決勝の、イアン・ウィリアムスの独走トライも秩父宮ラグビー場で見ていました。衿をつかまれながらもスルッとかわして50メートルを独走して、しかもコンバージョンキックが決めやすいゴールエリアのど真ん中にトライを決めたときは鳥肌が立ちました。

───伝説にもなっている「奇跡の大逆転トライ」ですね。

思い出の多い秩父宮ラグビー場。「一番いい席は肉体がぶつかり合う音が聞こえるバックスタンドの一番前。そこで見たら絶対、取りつかれる」と力説。

久保 野球でいえば逆転サヨナラ満塁ホームランです(笑)。前回大会の南アフリカ戦もそうですが、あれだけのたくさんの人を一度に熱狂させてくれるのはスポーツが一番だと思います。スポーツビジネスに携わるようになってから「共時的熱狂」と僕は言っています。それにスポーツの空間は簡単に国境を超えることができるのもいいですね。

───ラグビーワールドカップ2019日本大会もそうだと思いますが…。

久保 釜石にはもちろん観に行きますが、ほかの開催地も可能な限り。決勝戦はチケットが買えなかったのですが…。田村優がどんなキックを見せるか、松田力也は帝京大学時代から注目していました。医者になると言っている福岡堅樹が、正確なキックパスを受けて、ライン際スレスレを走り、トライするシーン。そんなことを想像します。日本はフォワードも強くなりましたよね。

───海外チームでの注目は?

久保 やはりオールブラックスですね。今年も南半球の試合をテレビで見ましたが、やはり頭抜けています。対抗はアイルランドとイングランドかな。スコットランドも強いけれど、けが人が多いと聞いているので、日本は勝てると思います。ぜひ予選リーグは突破して欲しい。

日英大学ラグビー交流戦の記念グッズ。オックスブリッジのジャージには選手が寄せ書きをしてくれた。

───久保さんはラグビーワールドカップ2019日本大会の後が大事とふだんからおっしゃっていますが…。

久保 ラグビーワールドカップ開催が日本に何を残すのか、ですね。新聞社の事業局で、オックスフォード、ケンブリッジ大学を招待して開催する日英大学ラグビー交流戦を10年間担当しました。両校が対戦する伝統のバーシティマッチも、ロンドン郊外のトゥイッケナムスタジアムに観に行きました。そこでは、ラグビーがひとつの文化になっていると、強く感じました。ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズという4年に一度だけ結成される、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの代表選手から選ばれ構成されたイギリスのオールスターチームがあるんですが、豪州のブリスベーンで彼らとオーストラリアの試合を見ました。街はライオンズの赤とワラビーズ(オーストラリア代表)の黄色のレプリカジャージーが溢れ、バーではラグビーの話が尽きない。ラグビーが社会に溶け込み、生活の一部になり、ファッションまで生み、歴史をつくっているという風景でした。日本でもラグビーの熱狂が続き、成熟したスポーツ文化を形成していって欲しい。

───釜石鵜住居復興スタジアムのオープンには東京ドームの外野席の椅子を寄付したと伺いました。

久保 仲立ちをしました。釜石をラグビーの力で元気にしたいんです。僕にとっては恩返しでもあります。新日鉄釜石と神戸鉄鋼、V7同士のOBチームによるレジェンドマッチを釜石で毎年やるとか。日本中からわざわざ見に行きたくなるようなコンテンツをつくっていきたい。オールブラックスOBとの試合を恒例行事にするとか、いろんなことを提案していきますよ。期待していてください。

PROFILE:久保 博 1949年9月7日生まれ、宮城県出身。高校時代に親友の誘いでラグビーを始め、虜になる。東北大学文学部卒業後、1975年に読売新聞社に入社し、経済部の記者などを務めた後、本社事業開発部へ。スポーツ事業部長などを経て、2014年に読売巨人軍社長に就任し、今年6月から現職。日米野球、WBC、MLBの開幕戦、アジアシリーズにも関与し、プロ野球ビジネスで成功を収めた経験を生かし、日本ラグビーをさまざまな面で応援。 Interview & Text:Hisami Kotakemori    Photos:Haruka Saito