おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。 おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。

廣野 眞一 Shinichi HIRONO
(集英社 専務取締役)

集英社にもスゴい早稲田ラグビー部OBが!
今もアカクロジャージが似合う‘おじ様’、登場

2019.07.08 Mon

現在各界のキーパーソンとなっている「楕円球LOVE!」な元青年たちに焦点を当てる「おっさんずラグ」。第4回は弊社の専務、廣野眞一。早稲田大学時代は日本選抜にも選ばれ、卒業後はOBコーチとして、第1回に登場した本城和彦さん世代を指導した経歴も。実はスゴイ選手だった!

───廣野専務は現役時代、スゴイ選手だったと伺っていますが、ラグビーを始めたのはいつですか?

廣野 高校2年からです。それまでは野球少年でした。

───高校から始めて日本選抜チームに入れるんですか?! 

廣野 野球はけっこう巧くて(笑)中学3年のときはキャプテンで、大阪府の大会で準優勝しました。それで強豪からも誘いがあったんですが、府立高校に進みました。中学生の終わりに腎臓を悪くして、高校に入学した頃はスポーツを止められていました。夏頃に医者からOKが出たので野球部に入ったら、これが弱いのに大学生の監督が練習大好きで、深夜までやらされることもありました(笑)。

───それは難儀ですね。

廣野 監督と話し合って退部して、プラプラしていたら2年生の担任がラグビー部の顧問だったのでラグビーをやれと。2、3日練習に参加したら、練習試合があるのにウィングがケガをして。足だけは速かったので急遽、試合に出る事になって…。

───最初からスゴイ展開!

廣野 1日は練習にも出ずに体育の先生にルール講義を受けました。結論からいうとボールを持ったら笛がなるまで走れ(笑)! そしたらその試合でトライしてしまったんですよ。それで「このスポーツは面白い!」と。

専門誌から大学の発行物まで、媒体の取材も多かった。写真左上『熱闘 大学ラグビー』(講談社)、左下『日本ラグビー 1977』(ベースボールマガジン社)、右上『キックオフ ワセダ '77秋 東伏見』(又三郎書店)、右下『ラグビーマガジン』(ベースボールマガジン社)

───ビギナーズラックの極み(笑)。それでその後は早稲田に?

廣野 早稲田大学には行きたかったけれどラグビーを続ける気はなかったんです。でも受験前の1月の日本選手権で早稲田と近鉄がものすごい試合をやって、早稲田は負けるのですが、それを見たら鳥肌がたってしまい…。大学に受かったら、ラグビー部の門を叩いていました。

───漫画のようなストーリーですね。

廣野 早稲田のラグビーの練習は相当ハードだったので、「オレの来るところじゃなかった」と、毎日「明日やめよう」と思っていました(笑)。それでも毎日やること、聞くことが新鮮で、公式戦が始まる頃には体も慣れて。「どうしてもそのステージに立ちたい!」と、続けました。

───レギュラーになったのは何年生のときですか?

廣野 僕のラグビー人生は人のケガのおかげというのがけっこうあって、大学2年のときの試合前に、またメンバーにケガ人が出たんです。僕が代わりに出してもらったら、ひとりで4トライもしてしまいました。それで、そのままレギュラーに定着しました。

───大学時代に日本選抜チームにも入ったんですよね?

廣野 当時は日本代表と日本選抜というチーム編成があって、スコットランド、フランスとの試合を経験しました。

───特に印象に残っている試合はありますか?

廣野 どの試合もけっこう覚えていますね。仲間もみんな覚えていて。飲んでいたりすると「あのときお前がああすれば勝てたのに」とののしり合いになる(笑)。

───みんな忘れないんですね。

国際試合でも「カモシカ」の走りで華麗なプレーを繰り広げた。

廣野 大学2年の日本選手権で、忘れられない出来事がありました。僕は基本的には12番(左センター)なんですが、ケガ人の事情などで11番(左ウィング)にコンバートされたことがありました。それでペアを組んでいたもともと11番の大学4年の先輩を押し出すことになってしまった。日頃から密にコミュニケーションをとっていた相手なのに、それから10日ほど口もきかない状況が続き…。試合の前日、消灯の後、部屋に呼ばれて、「明日、がんばってくれ!」と。それまでのラグビー人生と自分のポジションや技術について全部話してくれたんです。

───うわー…。

廣野 翌日、国立競技場で試合が劣勢になったとき、その人の声がものすごい近いところから聞こえてくる。「そこをケアしろ!」「(ポジショニングは)もっと前だ!」…先輩はスタンドからグラウンドにおりて、僕と並走していたんです。僕も必死でしたが、試合を覆すことができず…。試合で泣いたことはなかったんですが、ロッカールームに戻って、その人の顔を見たときは涙が出ました。

───大きな先輩ですね。

廣野 自分が逆の立場だったら同じようにできたかな? 人の立場になって考えなければいけないなと痛感しました。「ラグビーは愛だ!」と豪語する別の先輩がいて、僕なんかは気恥ずかしいと思っていましたが、そのときは愛を感じましたね。

───ラグビーで経験したことは仕事に生きていますか?

廣野 以前はよく仕事の状況をラグビーに置き換えて考えることがありました。ラグビーは分析と準備が大事で、どんなに強い相手でもしっかり分析して準備すれば勝てるということを擦りこまれましたから。あとは他の人にどう理解してもらうか。愛をもってやらないといけない(笑)。

専務室にはファン垂涎のジャンプのお宝が飾られている。

───廣野専務も今回のワールドカップを楽しみにしているかと思いますが、見たい試合はありますか?

廣野 それはたくさんあります。本当は全部見たい(笑)。ワールドカップレベルになるとどのチームにも、それぞれのドラマがありますよね。そして試合ではスゴイ選手が最高の状態でぶつかりあうことで、また新たなドラマが生まれる。

───注目しているチームは?

廣野 フランスは好きです。まず、ダマすことを考え敵の力を発揮させず、勝つことを阻止しようとします。早稲田も似てますが(笑)。人のいないところにボールを運んでつなぐ。だからサプライズがあり、オールブラックスやワラビーズに勝ったりと大物食いが見られる。戦前の分が悪い方が勝つのって楽しいですよね?

───おすすめの観戦方法などあれば。

廣野 ボールだけを追わずに、気になるひとりの選手を10分とか15分くらいどう動くのか見てみると、いろんなことに気づいて楽しいと思います。あとはぜひ、競技場に出かけて生で見てほしい。グラウンドに近い席なら選手同士がぶつかる音が聞こえたり…。最初はびっくりすると思いますが、これがラグビーなんだと感動すると思います。

PROFILE:廣野 眞一 1956年9月2日生まれ。大阪府出身。大阪府立東淀川高校から早稲田大学に進学。高校2年生からラグビーを始め、大学3年から日本代表合宿に召集され日本選抜にも選ばれた。卒業後は集英社に入社し、宣伝部、広報部、広告部、コンテンツ事業部などを経て、2019年から専務取締役。宣伝・広報業務、『ジャンプ展』などのイベント事業に携わる。卒業後は母校のコーチやエーコンクラブに在籍した。 Interview & Text:Hisami Kotakemori   Photos:Haruka Saito