おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。 おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。

薮下真平/武藤和博 Shinpei YABUSHITA / Kazuhiro MUTO
(⽇本アイ・ビー・エム 専務執⾏役員 インダリストリー事業本部 ⾦融第⼆事業部⻑/⽇本アイ・ビー・エム 専務執⾏役員 エンタープライズ事業本部 パナソニック・エンタープライズ事業部⻑)

IBMのアメフト部⻑と元ラグビー部⻑は同期で仲良よし。
「⾃分を犠牲にしてパスをつなぐ」理想の上司

2019.10.31 Thu

【おっさんずラグ】第10回はIBMのラグビー部元部⻑、薮下真平さんとアメフト部の現部⻑、武藤和博さん。⼆⼈は同期⼊社でラグビー経験者という強い絆で結ばれている。お互いに尊敬し合う姿と「⾃分を殺してパスを⽣かす」仕事ぶりで、⼈望も厚い!

───おふたりはラグビー部出⾝の同期、ポジションも被っていて、⼤変仲がよろしいと伺っております。ラグビーを始めたきっかけは?

武藤 もともとサッカーが好きで、⼦どもの頃はサッカー少年でした。中学3年⽣のときにテレビで⼤学ラグビーを⾒て「こんなスポーツがあるんだ!」と。サッカーよりもよほど刺激的だし、サッカーはぶつかってはいけないスポーツですが「ぶつかっていいんだ」と(笑)。⾼校に⼊学して「ラグビー部に⼊りたい」と⾔ったら⺟が仰天して。

───反対された?

武藤 はい。危険なスポーツだからと。担任の先⽣に相談しに⾏ったのですが、その先⽣が体育教官で「ラグビーは⾯⽩いスポーツだし、⼈間も鍛えられます。しっかり練習して筋⾁トレーニングすればケガもしないし、成績も落ちません」と⺟を説得し、晴れてラグビー部に⼊れた。⼊部したらケガは絶えないわ、成績は落ちまくるわ(笑)。

───でも九州⼤学にはちゃんと⼊学できた。

武藤 最後の半年で巻き返しました。集中⼒はラグビーでつきました。

武藤さん(左)はラグビーワールドカップ2007フランス⼤会のときのネクタイ、薮下さん(右)は1997年にイギリスのトゥイッケナム・スタジアムで買ったネクタイで。

薮下 僕は⽗親がラグビーをやっていた関係で中学からラグビー教室に通って、⾼校では3年間ラグビー部でした。当時の京都には名⾨の花園⾼校があり、⾼校3年⽣のときには平尾誠⼆さんがいた伏⾒⼯業⾼校が全国制覇していまして、僕らはいつも1回戦でボコボコに負けていました(笑)。

───⼤ヒットドラマ『スクールウォーズ』のモデルと⾔われる伏⾒⼯業⾼校!

薮下 ⼤学は早稲⽥でしたが、⾼校でケガをしたこともあってラグビー部には⼊らず、そこからはファンの道です。ただ早稲⽥は体育でラグビーが選択できて、元⽇本代表監督の⽇⽐野弘さんが先⽣だったんです。

───それはスゴイことですね。

薮下 ⽇⽐野先⽣から戦術やラグビーの⽂化、精神を学んで⽬からウロコでした。⾼校時代の根性論とは違う!(笑)それからはますますラグビーが楽しくなって。

⾼校時代の武藤さん。当時のチームメイトとの⻘春のひとコマ。華麗なランでトライも決めた。

───現役時代のラグビーや試合にまつわる思い出は?

武藤 ⾼校時代はキャプテンで、県⼤会ベスト4にもなったんですが、⾃分のキャプテンシーにコンプレックスを持っていて。精神的な挫折を経験していました。進学した九州⼤学は強豪で⼀軍に上がれず、最後まで⼆軍でまた挫折(笑)。社会⼈ではIBMがラグビー部の強化に乗り出し、明治⼤学出⾝で⽇本代表だった藤⽥ 剛さんが⼊ってきて。いっしょにプレーできたのは⾯⽩かったですね。

薮下 仲間が⾃分を殺して出したパスをもらって、私がトライした場⾯ですね。地区⼤会で、ウエダというチームメイトが僕にパスを出してくれた。アイルランド戦の福岡堅樹選⼿の逆転トライも、福岡選⼿がクローズアップされますが、僕的にはラファエレ・ティモシー選⼿のパスをもっと取り上げてほしい! 彼がワンモーションでパスを出したから、福岡選⼿は前に誰もいない状態でトライできた。

薮下さんの⾼校時代のラガーシャツは、⾁厚な⻑袖。当時は⻑袖が常識だった。

───ラファエレ選⼿の活躍は今⼤会の話題でしたよね。ラグビーはケガが絶えないスポーツと⾔われていますが、ケガをしても、戻ってくる。続ける⼈が多いのはどうしてですか?

武藤 ラグビーって⾒るのも⾯⽩いけれど、やるほうがもっと⾯⽩い。⽣⾝の⼈間同⼠が真剣にぶつかりあえるわけじゃないですか? ⼈にぶつかるのって怖いし、それをどう乗り越えてぶつかっていくか? ケガしても、いろんなものを克服して勝負する。最後はトライですが、その前、前の前…誰が何をやって、どうつないでいったのかを⾒ると、ひとつのトライにどれだけの思いが込められているのかがわかる。やっていてものすごい充実感や達成感があります。

薮下 組織でボールを運んでいくスポーツの代表がラグビーではないかな? ボールを前に投げられない、キックは有効だけれども攻撃権を敵に渡すことにつながってしまう。どうやってみんなで前にボールを運んでいくか? その魅⼒に⼀度ハマるとまたプレーしたくなります。チームの勝利の為に献⾝的に⾃分⾃⾝を犠牲にしあった仲間とは切っても切れない縁ができる。

薮下さんのお宝の中でも特別なパンフレットと⽇本ラグビー界の記録にまつわるチケット。 故・平尾誠⼆さんとは同郷の京都、また同期で、同じパンフレットに名前を連ねたのが今でもひそかな⾃慢。

武藤 インクルージョンのスポーツなんですよね。試合が始まったらフォワードもバックスもない。みんなでボールをつないでいく。とても潔いスポーツです。⾃分が役⽬を果たして、その思いが受け継がれていく。試合会場でも敵味⽅関係なく混然⼀体に座っているし、試合が終わったら勝ったチームが⼈垣を作って負けたチームを送り出し、次に負けたチームが同じようにすると。

薮下 アフターマッチ・ファンクションは⼤学で盛んですが、試合が終わると両チームの選⼿、監督やレフリーが全員参加して打ち上げをするんです。これがまた仲間意識を強めます。

武藤 最後は敵味⽅ではなくて「⼀緒にラグビーをやったよね」とお互いを讃え合って交流し、相⼿チームを激励したり、⾃分達の部歌を披露して締めるんです。

───ラグビーには独特のカルチャーがありますね。

薮下 でも「One for all, All for one」とか「ノーサイドの精神」というのは実は海外の⼈の間ではあまり知られていなくて、⽇本独⾃のものらしいのです。⽇本のスポーツは⼤学の教育の⼀環として発展しましたので、そういうことが⽇本ラグビーの⽂化や精神性にも影響をしているのだと思います。僕は⼤学の授業で「⼈が⾒ていても⾒ていなくてもベストを尽くす」ということを教わって、それが⾃分のスピリットになっています。

武藤 相⼿に勝つことよりもフェアにプレーすることを重要視するスポーツだから、「卑怯なプレーをしてまで勝つな!」という指導者も多かったですね。当時はレフリーがひとりだったし、反則的なことをやろうと思えばできましたが、やらずに、⾃分をコントロールして常にフェアにふるまうという精神。今でも⾃分を律する⾔葉になっています。

武藤さんのIBM選⼿時代のウィンドブレーカー。胸にポジションと名前が。30年以上たっ た今でもまだ着られる。

───ラグビー部出⾝の⽅が各界の重要なポジションに多いのは、どうしてしょうか?

武藤 ラグビーをやっていたから、ということだけではないと思いますが、⾃分を律すること、⾟い状況に耐えること、チームワーク。ラグビーで学んだひとつひとつが⾎となり⾁となり精神となっているのは間違いがないと思います。だから管理職になったとき、部下がひとりでも独⼒で、状況の変化に対応していけるように育てよう、組織運営しようと。ラグビーは試合が始まったら監督はいませんから、そのあたりは意識しました。

薮下 僕も若い部下だけでお客様を訪問するときには、事前にシミュレーションを徹底して、個⼈として判断できるようにしています。

武藤 お客様に何をもって貢献できるか? 相⼿とスクラムを組む前に、味⽅とスクラムを組んで、準備したり、スキルを⾝につけようよと。⼤きな⽅向感とビジョンをシェアしたらあとは背中を押して送り出す。

薮下 最後の判断は部下に任せる。その結果は私が引き受ける。みんなで引き受ければいいじゃないかということですね。1から10まで準備しても、「予測できないことがあったら黙って帰ってこい」というマネージメントもありますが、せっかく何かを決めるために来ているのに「帰って上司の意⾒を聞きます」では、お客様は不満じゃないかと。

───たとえ新⼈でもその判断を最⼤限尊重する。GOだと。

武藤 ⼊社2年⽬の新⼈とヨーロッパ出張の仕事がありましたが、急遽別の案件で僕が⾏けなくなり、「ひとりで⾏ってこい!」(笑)。現地で社⻑やCIOと渡り合っているのは彼。もちろん電話会議などで⽇本から後⽅⽀援はしましたが、こういうこともきっとラグビーで培った⾵⼟のようなものがあったからできたんでしょうね。

薮下 試合に勝つためには⾃分を殺して、ボールを⽣かす。そこは仕事でも共通ですよね。だからラグビーは「俺が、俺が!」という選⼿が集まったチームが、必ずしも強いとは限らない。

武藤 確かに。つないでつないでというチームが強いですね。現役時代、トライしてもいい気になって喜ぶんじゃないと、ずいぶん⾔われました。フォワードがスクラム押してくれて、パスでつないで、その結果たまたまグラウンディングしただけなんだからと。

会えば話が尽きず、始終笑顔で会話が続く。武藤さんはアメフト部の運営について、薮下さんに相談することも多いそうだ。

───奥ゆかしいですよね。⽇本が強くなった理由もそこですか?

薮下 努⼒をいとわない⽂化と⾃由にプレーするバランスをとったのが功を奏したんでしょうね。ラグビーはハートとブレインのバランスを常にとっていくスポーツだと学びましたが、ハート対ハートの熱量が同じならブレインで差が出ると。⾁弾戦やバックスのトライのスピードはもちろん、組織対組織の戦略。組織として今何をやり合っているのか? を試合では⾒ていますが、、、ここからは語り出したら⽌まらなくなってしまいます(笑)。

武藤 僕は選⼿がどうやって半⾝ずらして抜けていくかとか、個⼈と戦略を⾒ています。プレースタイルも昔と今とではずいぶん変わりました。僕が部⻑をしているアメフトでは戦略の中にタイムコントロールというのがありますが、ラグビーでも時間の使い⽅が変わってきた気がします。

───薮下さんは今回のラグビーワールドカップ2019⽇本⼤会™を14試合現地で観戦ということですが…

薮下 ⽇本戦はどの試合もベストマッチでした。海外のチームも含めて全部⾯⽩い。⽇本戦とそれ以外ではスタジアムの雰囲気が全然違うんです。アイルランド対オールブラックスのときはコンコースが⽴ち飲みバー状態だったし(笑)。⽇本じゃないみたい! 本当にワールドカップの雰囲気楽しいなー、と満喫しています。

武藤 応援する側もインクルージョンですよね。外国⼈選⼿も⽇本国歌を歌っていたり、お互いの国に対してのリスペクトもいろいろ感じました。この熱気が次のワールドカップまで受け継がれ、ラグビーをやる⼈が増えてくれれば。

薮下 海外のチームもお辞儀をするようになったりね。お客さんへのリスペクト、感謝もある。ワールドカップの後も⽇本代表戦は常に満員になってほしいと思います。あと数日でワールドカップが終わってしまうのかと思うと…すごく寂しいですね。

PROFILE:薮下真平/武藤和博 薮下真平/1962 年9 ⽉11 ⽇⽣まれ、京都府出⾝。中学、⾼校時代にラグビー部に所属。フランカー、ナンバー8、スクラムハーフなどを経験。早稲⽥⼤学進学後は授業で元⽇本代表の⽇⽐野弘⽒にラグビーを学び、⼤きな影響を受ける。1985年に⽇本アイ・ビー・エムに⼊社。2003年からラグビー部の運営に携わり、2010年から2018 年まで部⻑を務めた。

武藤和博/1963年2⽉14⽇⽣まれ、福岡県出⾝。⼩倉⾼校ラグビー部ではキャプテンを務め、県⼤会でベスト4の成績を残す。九州⼤学でもラグビー部に所属し、1985年に⽇本アイ・ビー・エムに⼊社。同年から1990年までラグビー部に所属し、フランカー、ナンバー8として活躍。2014年からアメリカンフットボール部の部⻑を務める。
Interview & Text:Hisami Kotakemori    Photos:Yuumi Hosoya