おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。 おっさんずラグ~大切なことはみんなラグビーが教えてくれた。

立花陽三 Yozo TACHIBANA
(楽天野球団 東北楽天ゴールデンイーグルス代表取締役社長 楽天ヴィッセル神戸代表取締役社長)

野球とサッカー、50/50でなく両方100%を実践する
実業家の成功は慶応大学ラグビー部時代があってこそ

2019.07.29 Mon

【おっさんずラグ】第7回は2013年に東北楽天ゴールデンイーグルスを初の日本一に導いた立役者、立花陽三さん。証券マンから球団経営者に転身して、現在は楽天ヴィッセル神戸の社長も兼任。多忙な経営者曰く、「慶応大学ラグビー部時代に比べたら仕事は楽勝」!?

───立花さんは高校時代に高校日本代表候補になっていますが、ラグビーとの出会いは?

立花 父親の影響で3つ上の兄が5年生からラグビーを始めて、僕もその頃から。小学2年生で初めてラグビーボールを持ちました。

───中学高校は成蹊で、大学は慶応に進まれた。

立花 僕たちの時代は早稲田、慶応、明治が圧倒的に強く、人気もあったので、そこでプレーできるというのはラガーマンの憧れでした。慶応は日本ラグビーのルーツ校でもあったし、AO入試が始まるときだったので受けさせていただき、合格したので入部しました。

───慶応大学のラグビー部は厳しいとうかがっていますが…。

立花 練習時間の長さに驚きました。強豪校の練習量が100だとすると成蹊は30ぐらいの学校でした。そこから、いきなり大学レベルで練習量100のラグビー部に入ってしまった…。

───苦労されましたか?

立花 苦労なんてもんじゃないです! 毎日やめたいと思うような状況でした。

───皆さんそうおっしゃいます。でも続けた。

立花 当時は早慶戦ともなればニュース番組で1週間も前から毎日取り上げられたりスポーツ新聞が特集を組んだりと、メディアの注目度も高く、まわりや友だちの期待もありました。だから入部早々にやめるのは自分的にもどうかと。レベル的な問題というよりも単純に練習が長すぎて、僕に体力がなくてついていけなかっただけなので…。

同世代には元木由記雄、吉田義人など日本を代表する選手が揃っていた。

───高校時代には日本代表候補にもなっていますからね。

立花 高校日本代表候補は2次で落ちました。高校3年生で日本代表の合宿に行ったときは47都道府県から強者が集まってくるので、本当に巧いヤツって世の中にはいるんだなーと。一回目の挫折はそこ(笑)。でもそこは高校生なんで、合宿が終わって母校に戻ると「やれる!」とまた自信を取り戻す。ただ大学は想像を絶する練習量でした。

───でも乗り越えた。

立花 今となっては感謝しかないですが、当時はなんでラグビーやるのにこんなに練習ばっかりしなきゃいけないんだ! と文句ばかり言ってました。若い頃はそんなものです。

───学生時代に心に残っている試合はありますか?

立花 大学3年生のときに出してもらった早慶戦です。開始5分くらいで顔面骨折をして。当時のマネージャーは鼻血だから大丈夫って、一度はグラウンドに戻ったのですが、倒れました。救急車で慶応病院に運ばれる中、意識を失って、そのときは死んだと思いました。

───大事にならなくてよかったですね。

立花 その前の明治との試合にも負けて、早慶戦も負けて、僕が入院している間に東大にも負けた。慶応ラグビー部の長い歴史の中で東大に負けたことはそんなになかったので、失礼ですが…。ニュースを見たときは自分の頭がおかしくなって字も見えなくなったかと思うくらいショックでした(笑)。

『RUGBY FOOTBALL』の表紙を飾った大学3年生時の対明治戦。ケガをするひとつ前の試合。

───プライドがズタズタになったんですね。

立花 慶応ラグビー部の歴史やジャージの重みを3年間で叩きこまれていましたから。自分がケガをして結果を残せずに去っていく辛さをそのときに感じました。一生忘れません。

───その後、変わりましたか?

立花 復帰に半年かかりました。自分の中でラグビーが怖いスポーツになってしまった。自分の弱さが出ました。ケガをしたことに逃げ場を見つけて4年目を過ごしてしまい…。だから、ケガをして言い訳をする選手を見ると自分に近いなと思うので、アドバイスというか自分の気持ちを伝えるようにしています。

───弱者の気持ちがわかったんですね。ケガをするとネガティブになりますよね。

立花 自分の弱さに言い訳をつくるんです。まあ慶応ラグビー部時代は、毎日自分の弱さに気づかされましたが…。肉体的にも精神的にも追い込まれて、毎日学ばされました。

───社会に出てその経験が生きていますか?

立花 卒業して証券会社に入るとき、「うちの会社は辛いよ。ハードワークだよ」とよく言われましたが、いつも「なんてラクなんだ」と思いました。

───証券会社は精神的にキツいという話をアチコチから聞きますが。

立花 だって炎天下、朝から晩まで練習するのをずっとやってましたから。会社入ったら土日休みですし。最初の半年は大手町の会社の近くに住んで、1日20時間くらい働きました。でもラクショー。楽しくてしょうがなかった。練習しなくていいんですから(笑)。

───慶応ラグビー部のほうがツライと。

立花 戦時中の人が強いってよくいうじゃないですか? 生死ギリギリの状況を経験しているから。自分が倒れたり、何秒以内をクリアできなかったら1年生全員もう1周みたいな状況をずっとつくり続けらされる。早慶戦の前に合宿所に「緊張」と貼りだされたら、絶対笑っちゃいけない。もうむちゃくちゃです(笑)。

楽天生命パーク宮城にて。スタンドの向こうにみえるのは2016年にオープンしたスマイルグリコパーク。日本の野球場で初となる観覧車が話題に。

───仕事がラクだと思えること以外に、仕事に生かされている部分はありますか?

立花 僕は人を信用して仕事をやらせるようにしています。これは楽天に来た7年前からずっと変わっていません。最終的な責任を取るのはもちろん自分ですが。僕たちは何万ものお客様を呼ぶために、いろんなことをします。それを毎試合組み立てて1年間積み上げていく。そんな中で連敗があったり、去年も最下位で苦しかったけれど、そんなときどうやったら次につなげて前向きになれるか? それは慶応ラグビー部の4年間で学ばせてもらいました。

───やはりスポーツビジネスは勝たないと苦しいですか。

立花 勝つほどきくクスリはありません。負けてもお客様がくればいいと思っていた時期もありましたが、それは逃げでした。勝って、なお、お客様が喜ぶ空間をつくるのが僕らの仕事だと、これだけやってきて、やっと気づきました。

───野球とサッカーで忙しいと思いますが、ラグビーワールドカップは楽しみですか?

立花 楽しみです。野球もサッカーもシーズンが佳境な時期なんですが、なんとか時間を作って見に行きたいと思ってます。

───日本の注目選手と戦況予想は?

立花 田中(史朗/スクラムハーフ)選手あたりががんばってくれると感情移入しやすいですよね。ベスト8に残ってもらって、できればベスト4。いきなり優勝は難しいと思いますが、いい結果を残してくれると信じています。来年、新国立競技場がオープンした暁には、サッカーでなくラグビーが6万人、満員にできるスポーツになると僕は真剣に期待しています。

PROFILE:立花陽三 1971年1月10日生まれ。東京都出身。小学生の頃からラグビーを始め、成蹊高校時代は高校日本代表候補選手に選出された。慶応大学に進みラグビーを続ける。大学卒業後はソロモンブラザーズ証券に入社。その後、ゴールドマン・サックス証券、メリルリンチ日本証券では執行役員も経験し2012年、東北楽天ゴールデンイーグルス球団社長に就任。2013年にはパ・リーグ初優勝、さらに初の日本一に輝く。2017年から楽天ヴィッセル神戸の代表取締役社長を兼務。 Interview & Text:Hisami Kotakemori   Photos:Haruka Saito